こちら「日本語でケアナビ」開発室

2008年3月のシンポジウムの詳細が決定!

うえだ

「日本語でケアナビ」と私たち

当事者は誰?

看護や介護という場面に、外国人スタッフが参加することの是非に対する議論はたしかにあります。また資格を満たした外国人スタッフとどのように協力して仕事を進めていくのかという現実の課題は、受け入れ機関ごとに考えなければならない問題だと思います。

もちろん、それらに対する法的な整備が何より必要なことはいうまでもありません。つまり関わる人々による真剣な議論と実現に向けた取り組みが必要なのです。それらの人々すべてが「当事者」なのだと私は思います。

では、日本語教師の私たちはどうなのか。もちろん日本語教育の立場から、そのような動きをどう捉えて、どう対応しいくかということを真剣に考えなければなりません。

とはいえ、その時から私たちプロジェクトチームの苦悩が始まったのです。なぜなら、看護師や介護士を日本の医療・介護現場に受け入れてともに働いていく場面を想定してみると、これまで日本語教育での学習の枠組みとは大きく異なることに気づかざるをえないからです。つまり、学習を教室の中だけに留めて捉えていたのでは、決して収まりきらないということです。

日ごろ、外国人と接しているからこそ、要求される日本語力と現実的な学習との乖離に呆然とするのです。

  • 「非漢字圏の学習者が専門的な漢字を駆使するのに必要な時間」
  • 「相手にあわせて敬語を使い分ける高等な口頭能力」
  • 「地方の職場で使われる方言の理解や運用」
  • 「毎日の業務日誌、引継ぎノートの記入に必要な日本語を書く力」

などちょっと考えてみただけでも様々な困難が目に浮かんできます。

しかし、この距離を生んでいる原因、それは学習者の学習能力だけでしょうか。日本語教育を提供する側の学習や言語能力に対する固定概念にも理由はあるのではないでしょうか。距離は当事者である学習者ともう一方の当事者である私たちの間にあるはずです。

自分の持っている枠をもう一度客観的に見直すこと、これは簡単なようで、なかなかすぐには切り替えられないものです。まさに「言うはやすし、行うは難し」、自分自身に対する挑戦でもあります。

2007.10.15 11:36 - うえだ

次は「ここが大変だった英語への翻訳(前編)」

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