私は看護師でも介護士でもありませんが、「日本語でケアナビ」開発を通じて、これらの仕事に携わる人々に、ある種の共感を覚えるようになりました。私にとっては、それがこのプロジェクトに向かわせる推進力の一つになっていたかもしれません。
共感の理由は「専門職」ということばです。これは、看護師としてどのような治療を行うかとか、介護士はどのような技術を使って移動介助を行うのか、という意味での専門ではなく、まさに「専門職」という呼ばれるその点についてなのです。
私は日本語教育に携わっている教師ですが、日ごろから「教師」というものについて関心を持っています。厳密にいうと日本語教育をしている教師、ということになるでしょうか。それで、自分の実践を振り返っていろいろと考えるとき、実践研究や実践報告を書いたりしてきました。
ところで、日本語教師って、専門職だと思いますか?
「びみょう・・」っていうことば、聞こえてきそうですね?
―日本語を話す日本人ならだれでもなれるんじゃないか。
そうでしょうね、ある程度。
―相手がことばのわからない外国人だから「ア・イ・ウ・エ・オ」を教えるって簡単なこと。赤子の手をひねるようなものでしょ。
そうでしょうね、、、ある程度。
―学校教育のようなきちっとした制度の中にある教諭ではなく、責任も軽いし・・。
って、そうでしょうね、ある程度・・・
などなど。日本語教師の専門性を「ずばり!」と言い返せないところがつらい・・。
もちろん、日本語教育は学術的な分野ですし、日本語教師も専門職であることには違いありません。ことばと教育に関する勉強を積んでいるわけですからね。日本語教育能力検定試験もありますし、出題範囲も広いです。
ここでは、資格認定や学歴という意味での専門性だけでなく、もう少し違う角度からの専門性、専門職、専門家について考えてみたいのです。あるいは「よき専門職」ということになるかもしれません。
私は、日本語教師というのも、相手のある現場で専門職になっていく(経験時間の長短を問題にしているのではありません)仕事の一つではないかと思います。そのような日本語教師の仕事の現場はどのようなものか、そこで何が起きているのかということに私は興味を持っています。
日本語教師の専門性について考える時、いつも参考にしているのが、ドナルド・ショーンという人が提唱した「reflective practitioner」という考え方です。
ドナルド・ショーン著、佐藤学、秋田喜代美訳『専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える』ゆみる書房(2001)*
「反省的実践家」と訳されることが多いですが、「考えながら行動する人、行動したあとで振り返って考える人、行為について考える人」というような意味でしょうか。これは、多くの仕事をする人、あるいは仕事だけではなく人の行為の多くに見られることだと思います。
ショーンは、専門家を技術的「知識」の有無からだけでなく、実践の場面で何を見、考え、判断し、行動しているか、という視点から「専門家」とその「知」を捉えなおしました。
そこで事例に挙げられていた専門家の中に、教師や看護師や介護福祉士や図書館司書などがありました。それぞれ専門分野は異なりますが、みな複雑で多様な現実の文脈のなかで、「見て」「聞いて」「考えて」「行動する」ことによって、相手のある仕事をしている人々です。
ここに看護師さんや介護士さんたちが私の仕事と並んでいるのを見たときから、共感を覚え始めたのです。そして、この仕事の人々が専門用語を駆使するばかりでなく、人と人との間でコミュニケーションをとりながら、自分の専門性を活かしつつ仕事をしている人だということを理解し始めたのです。
*『専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える』は中心的な考えを抜粋して翻訳したものということです。ショーンの原著は:
Schon, Donald A.(1983)The Reflective Practitioner: How Professionals Think in Action, Basic Books
2008.02.22 14:43 - うえだ


