素直にそのまま「患者(利用者)さんの体を沈めます」という文を作ると、ちょっと危険な場面を連想してしまいませんか。事故とか事件とか?
「『患者(利用者)さんの体を沈めてあげます』」
「それ、『やりもらい』が入って、ちょっと難しくない?」
日本語では人が人へ働きかける時、「やりもらい」つまり、「あげる、もらう、いただく、さしあげる」等の表現をよく使います。
「~てあげる」という表現を使うことで、動作の受け手、つまり患者(利用者)さんへの配慮を表すことになりますから、ケアの仕事をする人にとって、「やりもらい」表現の学習は必須です。
それにもかかわらず、私たちが「やりもらい」の多用に二の足を踏んだのにはわけがあります。日本語を教えている方ならすぐにお分かりでしょうが、「やりもらい」表現は、話し手の感情や心理、人間関係も反映させるだけに、学習者にとって混乱を起こしがちな、やっかいな学習項目の代表でもあるからです。
ただし、これが使いこなせれば、「自然な日本語」にぐっと近づくことは受け合いです。
「複雑だけど、習得後の効果が絶大な表現なら、手加減せずに例文でどんどん使ってもいいんじゃないっすか?」
「でも、『やりもらい』って一つ間違えると失礼な表現にもなってしまうし、人間関係を壊すことにもなりかねないしなあ・・」
「それに、例文は主語が省略されているんだから、そっちだって問題だよね」
「でも、普通の日本語で『看護師は私をお風呂に入れました』ということはないでしょう」
「どんな場面???」
「で、『私は看護師さんにお風呂に入れてもらいました』は?」
「まちがいなく『私』は省くし、『看護師さん』だって場面によっては省くのでは?」
「文脈だよね」
「そういうのって、このデータベースに全部載せますか?」
「ちょっと欲張りすぎ?」
「将来的に、教材のようなものを提供する手もあるわけだし・・・」
「で、『やりもらい』は、結局どうする?」
「日本語でケアナビ」の例文を作るときの方針として、複雑な文にならないことがまず挙げられました。上級話者へのパスポートとしての効果絶大とはいえ、「やりもらい」表現をどの程度使うか、悩むところです。
誰と誰とが話している?
では「沈める」を他のことばでいいかえることはできるのか、たとえば「体を湯船に入れましょう」となるとどうでしょう?
「湯船に『入れる』だと、物を入れる感じにならない?」
「じゃあ、湯船に『沈めます』。これはちょっと危険!」
「ところで、これ、誰と誰の会話?」
「やっぱり、働いている人同士・・・、先輩が新人に対して助言している、とか」
「となると、『~してください』とか『~しましょう』がいいよね。」
話は進んでいきます。
「体を浴槽に入れましょう?沈めましょう?沈めてあげましょう?」
「やっぱり、『~あげましょう』でいく?先輩と後輩の話の場面で。だって、患者(利用者)さんと話すのに『沈める』は使わないでしょう。」
一つのことばの例文を吟味していく作業は、どんな場面で、誰が誰に、どのような表現を使うかを考えながら進んでいきます。
「沈める」を採用したけど、じゃ自動詞の「沈む」はどうする・・?」
「入浴介助の場面で「沈む」をつかうかなあ?」
「『沈む』はむしろ気持ちのほうかも?」
「じゃ、これ採用?」
「どうかな・・・?」
検討はまだまだ続きます。
2007.10.29 09:23 - うえだ


